AFTERNOON.
シナリオ ユキか
執筆原稿 千梨様
タイトル:
Afternoon -ある日の午後-
白昼の森と呼ばれる場所に、雪は住んでいた。
彼女はここで木霊として生まれた。そして森の守護者として転生を繰り返している。
守護木によって姿が多少変わるものの、記憶は引き継がれ、雪は長い間、この森の平和を護り続けていた。
そんな雪が転生した、いつかの時代の話。
夏が終わりを告げた、ある日の午後。
雪はお気に入りの木を見つけた。その幹に背中を預けてうたた寝をしていた。
森を荒らす者などいない、穏やかな日々。
心地よい秋の風が雪のもとへとやってくる。
柔らかな風が額を撫で、罌粟の姿になった雪の黒紫色の前髪を揺らした。
雪に光が降り注いでいる。
その日はちょうど良い暖かさで、昼寝をするには、とても心地よい気候だった。日光浴ができて、草木たちもとても気持ちが良さそうだ。
爽やかな秋の風にもう一度撫でられて、雪は瞳を開いた。しかし、完全に目を覚まそうとはしなかった。
雪はまどろみながら、優しい風の心地を楽しんでいた。
ぼーっとしながら空を見ている。真っ青な空には白い雲がいくつか浮かび、風に乗って流れていた。
それらをじっと見つめていると、雪には何らかの形に見えてきた。
あっちの雲はキノコ、こっちはウサギ。あれは鳥、犬。
さっきまで離れていた隣同士の雲がくっついて、人の顔のように見えるものもある。
どこかから来てどこかへと消えていく雲。雪は気の済むまでその流れをのんびり眺めていた。
しばらくすると、今度は歌が遠くから聞こえてきた。森に棲んでいる妖精たちの歌声だ。
明るく楽しそうな声につられて、雪も歌い出す。
――ららら……。
まどろみながら歌をうたう。意識が夢と現を行き来し、ふわふわ漂いながら。
長い間そうしていると、日の傾き具合が変わってきた。木漏れ日の影が雪のもとにやってきて、彼女の横顔を覆った。
影の元になった枝葉の方を見ると、とてもまぶしい。目を細め、手で顔を庇う。
葉の隙間から差し込んでくる太陽の光が、雪にさんさんと降り注ぐ。目を閉じると、まぶたの裏も少し赤く見えた。
そんな状態でも雪は、歌を口ずさみ続けていた。雪は歌をうたうのが好きだった。
――ららら……。
やがて眠気が薄れ、少し意識がはっきりしてきた。
今度は木漏れ日を観察するようにじっと見つめた。
たくさんの緑の葉を潜り抜けた光たちは、白く細い線のように見える。
地面に落ちた小さな光たちは、風が吹くと楽しそうに揺れたり、ちかちかしたりする。
その様子を、雪はぼんやりと眺め続けた。
なんだかモヤモヤしていた。
何かを忘れていたけれど思い出せない。
一瞬何かが頭に浮かんだのだが、すぐ消えてしまった。
あともう少しで思い出せそうなのに。
そう思い、その〈何か〉を頑張って思い出そうとするが、どうしても思い出すことができなかった。そのまま、雪はぼーっとしていた。
何か音が聞こえる、ふと雪の目線が、森の奥の方へと移った。
その方向には滝がある。
森が呼んでいるような、そんな気分になったのか。雪は気がつくと起き上がり、そちらへと歩き出していた。
歩いていると風の妖精がやってきた。雪に挨拶をする。
そして雪の目の前で楽しそうに歌をうたったり、踊ったりし始めた。
小さな羽をひらひらさせながら、くるりくるりと回る妖精。その姿を見て、雪は口元を綻ばせた。
雪の様子を見て、妖精も嬉しそうに笑いながら、歌い、踊り続ける。
ふたりのもとに風がふわりとやってくる。雪の紫色のスカートを揺らして遊ぶ。
風のいたずらによって、雪の両足がひらりと露わになる。太陽の光にさらされると、彼女の両足の白さがはっきりとよく見えた。
風の妖精は雪の身体の後ろに回ると、何かを見つけたようにはしゃぎだした。
雪は首をかしげて尋ねる。すると、風の妖精は、雪の影に妖精の羽があるのを見つけたのだと、嬉しそうに教えてくれた。
雪も元々木霊として生まれた。だから風の妖精と同じように、羽を持っている。
今はタトゥーの形で背中に隠してあるのだが、影には雪の羽がしっかりと現れていた。
森の奥にある滝へ向かう雪の周りを、風の妖精は歌い踊る。
ひらひら、ひらひらと、まるで無邪気な子供のようについて回った。
そのまま導かれるように、雪は滝のそばまでやってきた。
雪は滝を見上げた。
せり出した崖から川の水は荒々しく落下していた。
滝の下の方では、白い水しぶきと泡が延々と作り出されている。
周りの木々は、元気で瑞々しい姿をしていた。地中でこの滝の水を吸い上げているおかげなのだろう。
雪は自然たちの生命の力強さを感じることができた。
激しい滝とはうって変わって、水が流れ落ちた後の川面は静かだ。
時折、小鳥たちが水面をつついて円を描く。
小さな魚を捕らえた小鳥は、近くの木の枝にとまった。嬉しそうに獲物をついばんでいた。
流れてゆく川のせせらぎ、鳥の鳴き声、葉のこすれ合う音……。それらが、自然のなかで優美な合奏をしていた。
それぞれがそれぞれの言葉で楽しくおしゃべりをしているかのように、雪には聞こえた。
自然たちの音楽に耳を澄ませていた。すると、淡く藍色の羽をした蝶たちが、雪の長くとがった耳のそばに次々とやってきた。
蝶たちは、羽を風に優雅にはためかせ、雪を踊りに誘った。蝶たちの誘いを雪は受け入れ、一緒に踊り出す。
この場所は、地面も水面も、蝶や雪たちにとって素晴らしいステージだった。
雪は舞いながら想像した。
優しい雄大な自然の中で、雪自身も、川にひそむ泡沫になった。
風に揺れる木の葉になった。
愛をうたう鳥にもなった。
花の周りを優雅に飛ぶ、蝶にもなった。
森の守護者である雪は、植物に心を重ねることを、いとも容易く行うことができるのだった。
――どこへ遠く飛んだの?
舞いながら、雪は蝶に尋ねるのだった。
ひとしきり踊った後、蝶たちを連れて、雪は再び最初の木のもとへと戻ってきた。
雪は森に広がる木漏れ日の景色を、愛おしそうに見渡した。
彼女にとって、草花や木……自然は何より大切な存在だった。
もし彼らが傷つけられるようなことがあったら、雪の心も同じように痛み、苦しみ、悲しむ。
反対に、彼らが元気で幸せであれば、雪も幸せだ。
森の木々は青々と茂っている。雪はその光景を見て微笑み、また先ほどのように歌い出す。
穏やかな時間。
太陽が落ちてしまう前に、暖かい陽だまりの光や熱を身体にもう一度浴びておこうと雪は思った。再び同じ木の下で、雪は日光浴をし始める。
背中を預けると、木は優しく雪を受け止めた。
木漏れ日が雪の身体へ降り注ぐ。日の光が雪を包み込み、彼女を暖め始めた。
雪は、森と空を見守りながら、歌をうたい続けた。
藍色に輝く蝶たちの一匹が、雪を離れて飛んでいこうと羽をはばたかせた。
――行っちゃうの?
歌いながら、雪はその蝶を見つめていた。
蝶は空の向こうへはばたき、どこかへ飛んでいく。ついには青い空へと溶けるように消えていった。
雪は日が落ちるまでずっと、蝶が飛んでいった空と、愛する森を見つめながら、歌い続けた。